Lawless Area

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劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(ネタバレあり)


何か世間に茶髪が多いし、俺は黒髪でいるわ。

え?何?ハリーポッター流行ってんの?じゃあ観に行かねえ。

ワンピースなあ、何か最近どうも以前みたいにテンション上がらないんだよなあ。

最近若干黒髪ブームっていうか、黒に戻す人多いよね。じゃあ染めるか。



あ・ま・の・じゃ・く!天邪鬼!(手を合わせて一礼)



ということで、酷い拗らせっぷりである。

この性格ゆえ、まどマギもテレビ放送当時は「うおおおお!!」なんて思いながら見ていたわけだが、そこから暫くして芸能人に捉まり、一般人というかリア充に捉まり、何故か「まどマギはセーフ」みたいな雰囲気が世間に出来上がった結果・・・。



俺「何かもうまどマギいいかなあ・・・」



出ました!見事な拗らせっぷり!!ヤッタネ!!

生来の天邪鬼に加え、テレビで放送されてから2年以上経っていたこともあり、新作と言われる今作も全く観に行く気は無かった。




来場者特典



やったー!ほむらとまどかだー!!いっちゃん欲しかったやつやー!!!

え?何ですか?そうですよ?観に行きましたけど何か?問題でも?

というわけで、長ったらしい茶番&前置きはこの辺にして新作である「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」観に行ってきた。

ファーストデーは良いものである。躊躇っている背中を押してくれるのだから。



さて、私は上述したように天邪鬼ゆえ、テレビ版が終わり、ご丁寧にテレビ版を編集してくれた劇場版前編・後編や、新作公開に向けてちょっと前からやっている再放送については一切観ていなかった。

つまり、私の時は2年ちょっと前から止まったままであり、あれからクソのように非生産的な「他の色んなアニメを観ては忘れ、観ては忘れ」を実に10クール分ほど続けてきた結果、まどマギについての記憶はほとんど無いに等しくなってしまっていたのだ。

確か最終回でまどかが何か概念化して、ほむらだけがそれを覚えててまどかの弟と言葉を交わして悲しい感じになって、最後にキュゥべえがほむらの傍らにいたような・・・。

こんな程度である。



そんなもはや初見のような感じで劇場に行き、同時期にやっていたプリキュアに若干心惹かれながらもまどマギを放映している劇場へと入り、ジブリかぐや姫のしつこい宣伝や、始まる前に(監督繋がりからか)出てきた忍野扇による劇場でのマナーを何とかやり過ごしようやく本編へ。

始まってから物語が動き始めるまでの間は、観ていてなんだか恥ずかしくなってしまった。だって何か魔法少女魔法少女しているんだもの。

特に途中で懐かしの「マジカルバナナ」みたいなことをやり始めた時は、「やっぱり世間に許されてなんかいなかったんだ!これはキモオタ向けのアニメだったんだうわあああ!」と思わず自分を殴りそうになったほどである。完全なるご乱心。



こうして人知れず悶絶している私を尻目に、物語は進んでいく。

最初の日常というか、何の問題もないパートは、絶対に絶望へと変わる前振りなのだろうと覚悟しながら観ていたわけだが、なるほどそうきたか。

視聴者同様、あの最終回からの繋がりからは辻褄が合わない事が多いということにほむらも気付き始め、この幸せな空間は魔女化してしまった自身が作り出したものだったのだと理解する。

そこからはもう虚淵のターン!というかなんというか、魔女化したほむらはキュゥべえによる実験の産物であり、その目的は、円環の理ことまどかを支配することだった。

絶望するほむらは自らを消滅させ、そのきっかけを作ることを阻止する道を選らぶ。

だがしかし!やはりこれは劇場版。テレビ版みたいに「ハッピーエンド・・・じゃないよな・・・」なんてモヤっとはさせません!

マミさん、さやか、杏子、なぎさ(期待の新メンバー)、そしてまどかがほむらを助けるべく立ち上がる!



良いぞ良いぞー!流石の虚淵氏も劇場版ではハッピーエンドに向かってまっしぐらか!!

なんて「良かったなあ・・・」という思いで観ている反面、「いや・・・でもこんな簡単に終わるものなのか・・・」という疑念が付きまとう。ついでに尿意もつきまとう。

とはいえ、そこからなにがあるわけでもなく、無事ほむらは救出され、現実世界にて概念化したまどかがほむらを迎えに



ほむら「この時を待っていたわ」



!?

はい来ましたー。一気に来ましたー。

どうやらほむらさん、概念化したまどかにもう一度接触できる機会を窺っており、自分を迎えに来たタイミングで実行に移したご様子。

キュゥべえですら予期していなかったこの事態、さらにほむらは自身を悪魔だと名乗った上で・・・



限界だ!!



なんという事だろうか、こんな佳境の場面で、絶対にあってはならないタイミングでまたもレミゼの悲劇が訪れた。

人間としての尊厳を失いこのまま見続けるか、それとも光の速度で走り、この尿意から解放され残りを落ち着いてみるか・・・。

私が選んだのは、後者だった。まだ、人間を辞めたくない。



こうして泣く泣く良いところで席を立ち、帰ってきてみると世界が作り変えられ、まどか、ほむら、さやか、杏子、マミさん、なぎさがいる平穏な日常へと戻っていた。

恐らく想像するに、まどかがほむらの作った世界の中で言った「私はみんなと離れるなんて怖くてできない」という言葉から、まどかの幸せを願ったほむらが世界を元の状態に限りなく近い形で作り変えたのだろう。

というのが善意解釈。

私が席を立つ前にほむらが言っていたまどかに対する「愛」。この愛が歪んだ形で現実化したというか、自分がまどかと一緒に居たいがために世界を作り変えたのかもしれない。

そして最後にほむらはまどかにこう言うのだ「いずれ私達は敵同士になるのかもしれない」と。



わけがわからないよ・・・。

どうしてこうなってしまったのか、尿意に負けて席を立ったのがいけなかったのか、何故またモヤッとしたままで劇場を後にしなければならないのか。

タイトルにある「叛逆」という穏やかではない文字から、確かにハッピーエンドというのは難しいだろうとは思っていたが、うーむ・・・。

劇場から出る時、恐らくオタクであろう2人組みが「いやこれどう観てもバッドエンドだろ(笑)」なんて言っていたので、少なくともスッキリする終わり方ではなかったはずだ。

ただ!ただ、私が観に行った理由の一つに「なにやら評判が良いらしい」というものがあったのだが、なるほど確かに面白かった。

ジワジワと違和感に侵食されていき、少しずつ物語の方向性がはっきりとしてきたかと思ったら、そこから怒涛のように押し寄せる急展開の嵐とマミさんのおっぱい。

終わってすぐ、また見直したいかもしれない・・・と思わせる細かい作りこみには脱帽である。

そして何より、虚淵氏がテレビ版を手がけていた当時、ほむらの人気が出るであろう事を見越しており、今回の劇場版ではあえてその人気をぶち壊しにかかったのだとしたら・・・。

うん、凄い面白いではないか。



というわけで、ハッピーエンドからはかけ離れていたが、私個人としては想像していたよりも楽しめた作品だった。

正直なところ、歳のせいか最近はバッドエンドだとしんどいというか、何故アニメや漫画でまでシンドイ思いをせにゃならんのかなんて思っていたため、まどマギを観るのにも抵抗があった。

そんな私ですら面白かったと思うのだから、作品のファンであれば楽しめること間違い無しだろう。

もし気が向いたのなら、もう1回くらいは観に行こうと思う次第である。