Lawless Area

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体罰という言葉


大阪体罰自殺 教師による犯罪ではないのか(1月11日付・読売社説)


ここ最近、マスコミがこぞって話題にしているこの体罰問題。

色々と思うところがあるので、今日はちょっと真面目なことを書いていこうと思う。



まず、最初に述べておくと、私は体罰に関して絶対に反対である。

何故なら、体罰が行われるのは大体が、「言う事を聞かせるため」か、「運動部におけるしごき」のどちらかだと思うのだが、どちらにせよ不必要だからである。

人間というのは動物の一種ではあるが、他の動物とは異なり多種多様な「言語」を操る事ができる。

それによって、自分が何を考えどうしたいか、相手は何を考えどうしようとしているのかをお互いに伝え合う事が容易となっている。

にもかかわらず、暴力という手段によってコミュニケーションを一方的に取ろうとするのは、もはや人間とは呼べないだろう。




これに対しては、「言葉で言っても分からない奴がいる」という反論をしばしば耳にするが、それは分からせる能力がない方が悪いだけであり、体罰を正当化する理由足り得ない。

また、体罰というのはそもそも暴行・傷害であり、それが教育現場で行われているからといって是とされ、犯罪とならないのはおかしな話である。

まして、今回のように1人の人間を死に追いやるほどのものともなれば、余程の暴力行為が行われていた事が容易に想像でき、問題となっている教師の人格を疑わずにはいられない。

通常、大人に対して暴行を行おうとすることですら躊躇するものだが、自分より一回りも二回りも年が離れている子供を痕が残るまで殴るというのは、気が狂っているとしか思えない。

この教師については、懲戒解雇した上で、しっかりと刑罰を適用し、刑に服させなければならない。



さて、本題に入るが、今回の体罰問題で私が違和感を覚えたのは以下の3点である。

  • 自殺するくらいなら辞めれば良かったのに/復讐すればよかったのに
  • 運動部では当たり前
  • 自分も昔結構な体罰を受けたが、その先生のことは好きだし今でも会いに行く

まず、一番最初に関しては、いじめ問題でも同様の事が言えるが、子供の世界の狭さが全くわかっていない。

大人になった現在であれば、経験により色々な選択肢が自然と浮かんでくるが、子供にとっては1日の半分以上を過ごす学校こそが総てといっても過言ではなく、学校生活がダメになる=自分の世界がダメになるのだ。

ましてや、いじめられていたり、体罰を執拗に受けていれば冷静な判断力など期待できるわけもなく、この苦痛から逃れるにはもう死ぬしかないとなってしまっても仕方が無いだろう。

そうならないためにも、最後の砦として親が頑張る必要があるのだが、今回は残念ながら間に合わなかったようである。



次に、体罰によって成績が上がるとでも信じているのだろうか、運動部で指導のためならば体罰が許されると思っている人がいるのには驚きである。

ならば、オリンピック選手は全世界で1人の例外もなく日常的に体罰を受けている事になり、あのような綺麗な身体ではなくて全身傷・痣だらけとなってしまうだろう。

だが、実際はそんなわけもなく、体罰などという原始的な手段を取らなくても、良い成績を残している選手がたくさんいるのは明らかだ。

したがって、体罰と成績アップとは関連性が一切ないということになるし、むしろ暴力によってコンディションの悪化が起こりうる分逆効果といえそうですらある。



最後に、昔は体罰が指導に取り入れられていて、それによって屈強な精神が培えた等、過去を美化し体罰を肯定する人がいるが、一体何を言っているんだろうと思ってしまう。

仮に、体罰によって精神が鍛えられたとしても、それはその人個人に限ったことであり、今回の件とは一切関係がない。

結局体罰などというものは、指導者の指導力のなさからくるものであって、受けた側がそれを是としたところでそれは主観によるものであり、客観的には暴力を振るわれた人間が被害届けを出さなかった。ただそれだけである。

自殺してしまった高校生には体罰による指導(笑)は合っておらず、そのことを理解できなかった無能な指導者が自殺に追いやった。今回の事件はこういうことなのではないだろうか。

また、体罰肯定派の人も、この高校生の状況・立場であれば考えが変わる可能性もある。

良い先生だと思うのは、体罰の程度がそれほどでもなかったか、フォローが上手かったのか、体罰<それ以外の触れ合いだったのだと思う。

とにもかくにも、当時の状況と今とでは大分異なる点が多く、一概に自分のケースだけで体罰を肯定するというのは、想像力があまりないと言われても仕方がないだろう。



といった感じで、後半は半ば愚痴みたいな形となってしまったが、今回の問題について思っていたことはあらかた書けたと思う。

私もこの高校生と同列にするのは申し訳ない程度ではあるが、体罰を受けた事があり、それがあり難かったなどとは一切思っていない。

何かのきっかけで思い出す度に、言葉は汚いが最も悲惨な死に方をして欲しいとすら思う。



そろそろきりがないのでまとめに入るが、この事件はいじめ問題とは異なり、目撃者が大勢いたり、以前にも教育委員会に問題が指摘されており、完全に防げた事件だった。

にも関わらずこういった事が起こってしまうのは、システムそのものに問題があったからなのだろう。

組織体制、教育制度そのものをしっかりと見直し、今後二度とこのような事が起こらないようにしていただきたい。

また、いじめについても同様の事が言えるが、誰かが言っていたように「体罰」ではなく「暴行・傷害」、「いじめ」ではなく「暴行・傷害・強盗・殺人未遂等々」、言葉を変えてその行為の罪を軽くするのはもう止めにすべきだ。

この問題は、ただセンセーショナルだからといって騒ぐのではなく、徹底的に追求しなければならない問題である。

マスコミがどこまでやれるか、今後の動向にも注目したい。あまり期待はしていないが。