Lawless Area

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杜の都−2日目−

昨日は余りの眠さで力尽きたが、今日こそ祖父の戦争体験をちゃんと書く。こういうことはきちんと記録に残しておきたいのだ。例えそれがオナニーだとしても。

うちの祖父はどうやら人に指図できるぐらいには偉い立場にいたらしく、普通の兵隊さんよりも死ぬ確立は低かったらしい。

とはいえ、それなりに危険な目にも遭っていたようで、戦闘機が自分めがけて飛んでくる瞬間は弾が全部当たる気がしていたと語っていた。

本来戦闘機とエンカウントしてしまった場合、上からは丸見えとなっているはずなので何をしても無駄なのだが、そう分かっていてもただじっとしている事はできなかったようで、部下15名ほどを後ろに並ばせて、電柱の陰に隠れながらなるべく戦闘機の死角に位置するように戦闘で指示をしていたらしい。

そういう話だけでも生々しいのだが、壕の中での体験談にはゾッとさせられた。

そこには祖父の他にも多くの兵隊さんや人が居たらしいのだが、その中の一人が少し前に戦闘機か何かに撃たれてしまったそうで。

普通だったら死んでいるのだが、その兵隊さんは運良く持っていた拳銃に当たった事で無傷だったらしく、その拳銃の動作確認か何かをしていたのである。

もうこの段階で嫌な予感しかしないのだが、案の定謝って引き金を引いてしまったそうで、祖父の半径1m以内にいた人が突然「うああああっ」とうめき声を上げたらしい。

祖父は「すぐに病院に搬送されたようだが、死んでしまったんだわな」と何気ないトーンで語っていたが、運が悪ければ自分がそうなっていたわけで。

「拳銃と言うのはどうにも恐ろしい」と語る祖父の言葉はとても重みのあるような感じがした。

この他にも祖父がシベリアで捕虜となった時の話なども結構してくれたのだが、聞けば聞くほどギリギリの生活を送っていたのだということが実感できた。

苛酷な労働を満足な食糧・休息を得られないまま課せられる事で死と隣り合わせの生活を皆が送る中、元々人に指図できるだけの地位があった事が幸いして、現場を指揮する立場に任命されたことで人よりは労働量が少なかったらしい。

まあ、それでもきつかったのだろうが、人よりはマシだったと祖父は言っていた。


「トラックに切った丸太をたくさん積んで帰るのだけど、運転手が下手で横転して一緒に荷台に乗っていた4人ぐらいが下敷きになってな。アレもきっと皆死んだんだろうな。」


なんて事をさらっと言ってしまう辺り、人が死ぬ事が日常茶飯事に起きていた事が想像された。


こんな感じで色々話してくれたのだが、高齢ということもあって総てをきっちり2回繰り返して話すため、凄い話を聞いたなと思う一方で少しじれったくもあった。もしかしたらエンドレスエイトを見ていた人と同じような気持ちだったのかもしれない。

しかもこれからというときにタイミング悪く人が尋ねてきたため、これ以上の話を聞くことができなかった。

戦争の話というのは中々こちらからは聞き辛いものがあるので正直かなりイラっとしたが、完全に「そんな事言われても…」状態なので仕方ないよね。

次回また気が向くことを期待したい。



ちなみにタイトルが「2日目」となっているので一応2日目にしたことを話すと、祖父の代わりに松ノ木を切るぐらいしか特別なことはしていなかったりする。

祖父の趣味は庭弄りでよく一人で庭の手入れをしていたのだが、腰を悪くしてからも一人でやろうとするため私に白羽の矢が立ったというわけだ。

先ほど松ノ木を切るぐらいしかと言ったがまあこれはこれで結構きつく、足場の悪いところにはしごを立てていつ倒れるかわからない恐怖と戦いつつ、虫が苦手にもかかわらず目の前にでっかい蜘蛛がいる状態で切るという追い込まれようだった。

その上素人だから上手く出来ないかもよと間接的に「じゃあやっぱりやらなくて良いよ」を誘おうとして言った言葉が仇となり、横から色々指図されながら切るという非常にやり辛い状況を招いてしまった。

確かに普段出来ない経験をしたのだが、できればもう少し大きなハサミで切らせて欲しかったな、おじいちゃん。(使ったのはペンチぐらいの大きさのハサミだった)

あと祖父は年賀状を総て筆で書く為、もう今のうちから取りかかっているらしいのだが、あて先を記されたノートを何気なく見たら、「死亡」とか「死」と宛名の横に書いてある所が何箇所かあってへこんだ。

こんな感じで2日目は何となく精神的にしんどいことが多かった気がする。夜寝る前にストーブを消したか確認するため何気なく祖父の部屋を覗いたら、いつもは早く寝るはずなのにまだ起きてて一人ぽつんと座ってたのも悲しかったしね。