Lawless Area

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麻生 vs マスコミ


麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細


最近ニュースを見る時間がめっきり減ってしまった私だが、そんな私でも騒ぎになっているという事が分かっているくらいには騒がれているこの問題、何となくしか知らなかったので、本当のところはどうなのかを調べてみることにした。

まず私が聞いたのがYoutubeにアップされていた肉声。

どうやらニュースで報道された部分を切り取ってアップされていたようである。

ということは、意図的に編集されている恐れがあるので、あくまでどういったことを言ったのか程度の認識に止めておいた。

ただ、ぶつ切りの内容を繋ぎ合わせただけの動画でさえ、どうにも報道されている内容とは異なるのではないかという印象を受けた。



とはいえ、これだけではやはり判断ができない。

そこで私は麻生氏の発言について、全文を読んでみる事にした。

流石に「全文」と銘打っているにもかかわらず、彼に不利、または有利になるような偏向報道をしてはいないだろうと思ったので、読売新聞がネットに掲載していた全文を元に、今回の騒動が実際のところどういったものなのかを検証していこうと思う。



一応ソースはタイトルのところにリンクを貼り付けてあるが、消されてしまっては元も子もないのでこちらにも引用しておく。


 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

とまあ、このようなことを言っていたようである。

これが真実ということを前提に、麻生氏の発言を要約すると恐らくこうだろう。


  1. 憲法改正案で特に言及されている発議についてだが、問題は要件の厳格さ、緩やかさではなく国民の政治に対する意識の低さである。
  2. いくら手続きが適正でも、運用する国民がしっかりしていなければヒトラーのような人間が担ぎ上げられてしまう。
  3. ただでさえ流されやすく、物事をしっかり考える事ができないのに、更に騒がしく、冷静になれないような状況だったらどうか。ろくな事にならないのは明らかである。
  4. そのような状況を作っているのはマスコミであり、彼らの手のひらで踊らされてはいけない。
  5. そうでないと、喧騒の中でいつの間にか自分達が不利になるような憲法に変えられる、そんなナチス政権下で起きたような事が起きてしまう。
  6. そういった手口から学び、国民にはあくまで冷静に憲法改正について議論してもらいたい。


私の読解力が幼稚園以下なら間違っていようが、この全文を読む限りでは大体このようなニュアンスの発言だったのではないだろうか。

ということは、今世間で騒がれている「麻生氏がナチスを賞賛している」という表現は、事実無根という事になる。

まあ、私としては、国民の流されやすさを危惧しているのであれば、なおのこと発議に関しては厳格な要件を課すべきようにも思えるが、話がそれるのでそれは置いておく。



話を戻して、では何故こんなことになってしまったのか、ネット民によくあるマスコミ嫌いに倣うわけではないが、今回に限ってはどうにも悪意によるものが大きいような気がしてしまう。

学も無ければ大して頭も良くない私でさえ、この全文からは「ナチスを真似して国民を苦しめてやるヘッヘッヘ・・・」とは読めない。

高学歴で聡明であるマスコミの記者の方であれば、なおのことこうは読めないはずである。

にもかかわらずこのような有様になったのは、麻生氏に痛烈に批判されたことに対する、幼稚な仕返しによるところが大きいのではないか。



仮に、仮に「ナチスという一部の人に不快感を与えるものを例に使うのが悪い」という事で批判されているとする。

これを日本に置き換えると、例えば原爆を例に出す等が考えられるが、



「アメリカに原爆を落とされるという事がまた繰り返される事になる、そういったことが起きないよう史実を学ぶべきだ」



というようなニュアンスで例に使われたとして、誰か不快に思う人は居るのだろうか?

少なくとも私としては、過去を反省し将来にわたって二度と繰り返してはならないという表現に、頼もしさすら覚えるが・・・。



別にインターネットの方が優れているとか、そういう事を言うわけではないが、ネットが台頭してからマスコミのモラル、正義感がどんどん損なわれていっている気がしてならない。

今回の参院選をとってみても、本来であれば「この議員は6年間でこのような活動をしていて、このような法案に賛成し、こういった政策に尽力してきた」等々、立候補者がこれまでどのような活動をしたか特集を組むべきだった。

そうすれば国民は自国、又は自分にとって利益をもたらしたのは誰か、逆に、国に損害をもたらし、大した活動をしてこなかったのは誰かがはっきり分かり、選挙で候補者を絞りやすくなる。

ところが、実際は「ねじれ解消なるか?!」の一点張り。エンターテイメント性がありさえすれば良く、彼らにとっては国がどうなろうと関係ないかのように思えてしまう。



本来、報道機関というのは真実を白日の下に晒すことにより、国民の知りたいという欲求に応えると共に、あらゆる不正を行われ難くするという、チェック機関的な役割を期待された機関だったはずである。

ところが、現在のマスコミといえば、議員のプライベートをほじくり返し、路上でキスをしただなんだと騒ぎ立て、辞職に追い込んだりする。

本来であれば、やるべきことをきっちりやっていればそんな事はどうでも良いことであり、むしろ糾弾すべきなのは業務において何か問題を起こした場合だろう。

今になって思えば、麻生氏が漢字が読めなかったり、庶民が食べる物の値段を知らなかったりという事実も、心底どうでも良い問題だった。そこから直ちに何か政治に影響があっただろうか。



この論調では明らかにマスコミ嫌いのそれと受け取られても仕方が無いが、マスコミはいい加減自分達がいかに愚かな行為をしているか自覚すべきである。

スポンサーのこともあるだろうから、多少の事は仕方ないとも思うが、それでも、面白ければ良い、視聴率が稼げれば良いというその姿勢は滑稽でしかない。

これ以上下らないことに躍起になり、日本や、国民にとって利益とならないような行動を取り続けるのであれば、信頼を失い続け、いずれ痛い目をみることになるだろう。

そうなる前に、何とか自浄作用を働かせ、真剣に、適正な報道を心がけるようになって欲しいものである。