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永遠の小・中学生


橋下市長:小中学生に留年検討 大阪市教委に指示


このニュースを耳にした時、一瞬「小学3年生くらいのクラスに1人だけやたらデカイおっさんみたいな生徒がいる」というシュールな描写を思い浮かべてしまったが、そんな笑えるような問題ではない。

恐らく学力向上の一環としてこの試みが提案されたのだろうが、これはちょっとやりすぎなのではないだろうか。



もちろん、目標の学力レベルに達しない生徒を留年させ、そのレベルに達して初めて進級できるとすれば、年齢は均一にならなくても学力は均一化でき、全体の学力レベルも底上げされるだろう。

しかし、小・中学校というのはなにも勉強をするためだけの機関ではないはずだ。

集団生活という場で人間関係について学んだり、何か一番になれるものを見つけたり、部活動等に精を出したり・・・

そうやって色々な事を多感な時期に経験させるために、義務教育という半強制的な形式を取っているのではないだろうか。



これが留年してしまうとどうだろう、そんな青春のかほりを楽しんでいる余裕などなくなってしまう気がする。

まず、留年が確定した段階でその生徒は確実に学校に行きたくなくなると思う。

そして、そんな「普通じゃなくなった」生徒のことを、クラスの誰かがきっと馬鹿にし、最悪の場合いじめに発展することもあるかもしれない。

そんな状況の中実際に留年すれば、周りからは取り残されたと感じるし、自信も喪失しているので新しいクラスに馴染めるわけもなく。

1学年違うからといって新しいクラスの生徒が気を使うとは限らないので、容赦なくその「異質」な生徒をハブいたりいじめたりする生徒が出てくることも考えられる。

そうなるともう負の連鎖、そのままズルズルと小学校生活を続けられるような強いメンタルはないだろうから、学歴が「小学校中退」なんてこともあり得る。

日本は一度レールから外れてしまった人間には鬼のように冷たい国なので、その人はそのまま社会復帰することなく、最終的には自殺してしまう、なんてことにもなりかねない。恐ろしすぎる。



もちろん、こうならずに「なにくそー!ボクだってやるときはやるんだゾ☆」と一念発起して頑張る人もいるだろう。

しかし、そうやって頑張れる人間ならそもそも留年しないような気もするし、やはり小・中学生という人格的にまだ未熟な段階でそういうプラスに変えるような考えは望めない。

それならまだ、留年ではなく学力別にクラス分けをして、それぞれに合った学習プログラムを組んだほうがいくらかマシである。

こうすれば学力的に遅れのある生徒に先生が合わせることで、もっとレベルの高い勉強を望んでいる生徒に迷惑をかけることもないし、遅れのある生徒もできないままでいるという状況を避けられるだろう。

まあ、甘いことを言えば「できる生徒」が「できない生徒」に進んで教えることで、生徒同士が助け合ってクラスが団結するというのが一番望ましいのだが、現実問題として無理がある。漫画とかなら確実に泣ける展開なんだけど。

ちなみに、この問題を妹と話していたとき、妹は「学力が目標レベルに達していない生徒には、それ専門の講師を雇って補習なりをして学力の向上を図ったほうがいい」と言っていたが、それもありだと思う。



とにかく、長々と書いてしまったが私はこの「小・中学生の留年」については反対だ。

学力向上は素晴らしいことだが、こういう子供に劣等感を抱かせるような形ではなく、教育プログラムを工夫し、勉強の楽しさを上手く伝えられるような教育を目指して欲しい。

どうせ大人になれば嫌でも挫折したり人生の壁にぶち当たったりするのだから、せめて子供の頃くらいは息苦しい環境とは無縁の生活を送らせてあげたいと思うのは古く、甘い考えだろうか。