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教師と君が代の問題について


【教育】 「若い先生、君が代で立ってる…恐怖!」「クビでも立たない!公務員の生き方否定か!」 君が代嫌い先生、近づく卒業式に苦悩


この問題、ちょくちょく話題に上がるのだが、その度に私は思うことがある。

何故、そんなに君が代が嫌なのに教師になったのだろうか、と。



私は別に「君が代なんて嫌いだいっ!」という考えについては、なんら文句はないし、そう言われても「はあ、そうですか」としか思わない。

それは、人によって色々な考え方があるのは当然だと思うからだし、そういう考えは憲法(19条)に思想・良心の自由として絶対的に保証されているからというのもある。

そう考えると、君が代を歌いたくないという教師を無理やり立たせて歌わせるというのは、確かに思想・良心の自由を侵害しており違憲なのだろう。



ただ、本当に侵害されたと言えるのかは正直なところ微妙な気がしてならない。

通常の思考ができる人間であれば、公立学校の教師になった場合何かの式において君が代を歌うことは当然予想できるだろう。

となれば、そこまでの精神的苦痛を伴うのであれば、そもそも公立学校の教師にならなければいい話だと思うのだ。

仮に私が君が代を歌うとお腹が痛くなって、食欲もなくなって、何も考えたくなくなってフラフラと街を歩いた挙句チンピラにぶつかるも、自暴自棄に陥っているため悪態をついてボコボコにされる。というほどに君が代が嫌だったとする。

その一方で、思春期に読んだGTOのおかげで教師という職業に尋常じゃない憧れがあり、どうしても教師になりたかったとする。

この場合、私だったら確実に公立学校は避けて私立学校の教師になろうと奮闘すると思うのだ。だって君が代は嫌だけど教師にはなりたいんだし。

それに、ただでさえ公務員というのは特殊な立場であって、一般人よりも人権が制約されてしまう場合があるのだから、なおのこと私だったら好き好んで公立の教師にはなろうとは思わない。

にもかかわらず、あえて公立学校の教師になっているのに「侵害された!」と言われても、正直あまり説得力がない気がするのだ。



まあ、これは私個人の主観であり、公立の教師になった人には各々事情があるのだろうから、この「君が代問題」は非常にデリケートな問題ではあると思う。

ただ、法律うんぬんではなく一般的な感覚で言えば、教師というのは子供に物を正しく教える立場なわけで、その教師が偏ったものの考え方を表に出すのはいかがなものかなと思ってしまう。

もちろん教師である前に人間なのだから、どんな考えを持っていても良いのだが、少なくとも生徒達の前では極力ニュートラルな振る舞いをするべきではないだろうか。

ある程度思考が形成されている大学生ならいざ知らず、それ以外の生徒にとっての教師による影響力を考えるとそこまでおかしな事は言っていないはずだ。

また、普段「勉強しろ!」「規則は守れ!」「教師の言う事を聞け!」「服装はきちんとしろ!」と言っている人間が、一人だけみんなと違う行動を取っている姿を見て、生徒たちは一体どう思うのか。

そういう問題を含めて考えると、私は国歌斉唱の強制について頭ごなしに否定はできないのである。