変態の美学
■「入りたくて、入った」銭湯の女湯浴室に全裸で侵入した警備員(49)逮捕 - 神奈川
基本的に私はこういうバカは嫌いじゃない。
嫌いじゃないし気持ちもわからなくはないが、同時にこいつは何もわかってないなと思わずにはいられない。
まず、そもそもの前提として、真の変態たるもの人様に迷惑をかけずして楽しむべきである。
基本的には妄想でニヤニヤし、現実に何か嬉し恥ずかしなハプニングが起こったとしても、一瞬さっと見て心のマイピクフォルダに保存するぐらいが丁度良いのだ。
まあ、盗撮等こそこそと最低なことをするよりは良く、堂々と正面から乗り込んだというその心意気を汲みたくもあるが、それでも女湯にいた方々を怖がらせたことに変わりはないので似たようなものか。
そして次に、私がこいつにわかってないと思ったのは、「妄想に止めず実行してしまった」という点である。
確かに、女湯は男にとって一度は入ってみたい場所ランキングがあれば確実に上位に食い込むぐらい憧れの地である。
透明人間になれたら何をする?という質問に対する回答の、約8割ぐらいが「女湯に行く」だと言っても過言ではないだろう。
だがしかし、行けないからこその憧れの地なのではないだろうか!
「あの“女”という暖簾をくぐるとその先には一体どんな楽園が待っているのだろう」とか、男湯の洗い場で上を見上げた時にちょっとだけ空いている女湯との仕切りを見て、「近いようで遠いな・・・」と嘆いてみたりだとか。
そういうありとあらゆる妄想、想いがたった一回の過ちで抱けなくなってしまっても良いのだろうか。いや、良くない。(反語)
ポルナレフさんもおっしゃっていたが、現実は非情なのである。
乗り込んでいって中に「あたしンち」のお母さんみたいなのしかいなかったら、もう金輪際楽しい妄想が出来なくなるんだぞ!わかってんのか!!
・・・思わず熱くなってしまったが、これはチラリズムに共通する考え方だと思われる。
見えそうで見えないから良いのだ、見えては駄目なのだ。
世の犯罪者予備軍どももこの考えを持つに至れば、きっと(表面上は)幸せな社会になることだろう。
うん、変態万歳。