Lawless Area

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お葬式


始まりがあれば、終わりがある。

生ある者は必ず死あり。

ということで、何か余程の事情がない限り、誰しもが避けて通れないのが『お葬式』への参加である。

かくいう私は、幸せなことにこれまで一切そういった経験をしてこなかったのだが、今年に入って立て続けに2人亡くなってしまい、親族側として初めて参加することとなった。



でだ、何故このような暗い話題をわざわざこのクソブログに書いたのか、もしかしてあれか、辛かったね良い子良い子して欲しいのかと思われる方もいるかもしれない。

確かに、私は構ってちゃんではあるが、決してそのような欲しがり屋さん故ではなく、2回経験したことで自分なりに色々と感じたことを書き留めておこうと思ったからである。

というのも、私は地方と都内での2パターンを経験したのだが、あまりにもこの両者に差があったのだ。

とはいえ、たまたま私が関わった2つのお寺、業者がそうだっただけという可能性もあるので、違う違う、そうじゃ、そうじゃない。というような事があれば遠慮なく言っていただけると幸いである。



ではさっそく、地方のお葬式の場合。

まず何より、その地域ならではの風習があるのが非常に面倒くさい。

私個人の考えとしては、故人を供養したいという気持ちがあれば、多少方式を間違えてしまっても構わないと思っている。重要なのはその人の気持ちだと。

しかし、そのような甘い考えは一切通用せず、親戚、近所等に対する体裁、風習に対する妄信、親戚間での上下関係により、ガッチガチのがんじがらめ状態だった。

何か1つミスすると、もう鬼の首を取ったかのような勢いでチクチク文句を言ってくる。あれでは悲しむ暇もありゃしない。


また、お寺の住職が、良く言えばざっくばらん、悪く言えば非常に雑で下品だった。

神妙にお経をあげ、説明をし、送り出してくれるだけで良いものを、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと聞いてもいないことをまあ話す。

やれ日本酒が好きだ、やれ普通の仕事から転職してこの仕事を始めただ、ゲラゲラと笑いながら本当にやかましいのなんのって。何度心の中で「うるせえぞこのクソ坊主!」と思ったことか。

葬儀屋さんも必要最低限の人員で仕事をこなしており、全体的に何だか気持ちのこもっていないお葬式だったように思えてしまった。



次に、都内のお葬式の場合。

こちらは非常にわかりやすいというか、スッキリしており、風習でガチガチでない分心に余裕ができて、故人をしっかりと供養できたように思える。

スッキリしていたといっても、きちんとやる事はやっていたし、分かりにくい部分は事前に説明があったので慌てるという事は何一つなかった。


また、住職に関しても非常に寡黙な方で、しっかりとお経をあげていただき、その説明と遺族に対しての言葉以外、余計なことを一切話すことはなかった。

葬儀屋さんに関しても、ちょっと多いのでは?と思うほど人員を割いていて、非常にテキパキと仕事をこなしてくれていたし、遺族に対する対応もとても丁寧で好感の持てるものだった。



といった感じで、2つのお葬式を一気に経験したわけだが、同じお葬式でも内容は全然違うものだったのだ。

お寺や業者に関しては、恐らく地方だから、都内だからということではなく、たまたま悪い所と良いところに当ったのだと思う。

だが、お葬式の方式については、確実に地方であるのとそうでないのとでは違うと思うし、親戚に関しても地方の方が独特のルールがある分面倒かと思われる。

つまり何が言いたいかというと、結婚する際、もし可能ならばなるべく都会出身の相手と結婚すべきだなあと。

やはりその地域ならではの風習というのは、往々にしてトラブルの元となってしまう。

もちろんそういった風習を守っていく事が大切なのもわかるのだが、それよりも煩わしさが勝つという人は、是非結婚の際、判断材料の一つにしていただければと思う次第である。

お葬式というのは、故人を供養するのもそうだが、自分の気持ちを整理するための式だと思っているので、私としてはこういった経験から、あまり様式にこだわらない方が好ましいと感じてしまった。