キョロ充
最近私のブログに、あるワードを検索して訪れてくださる方が増えている。
それがこの記事のタイトルにある「キョロ充」なのだが、私、このブログでこの単語を使用したことは一回もないのだ。不思議!
にもかかわらず何故かキョロ充きっかけでお越しくださる方が後を絶たないので、もういっそのこと書いてしまおうかと。
ということで、今回はキョロ充について私が思っていることを書いていこうと思う。
まず、そもそもキョロ充とは何なのか。何となく可愛い感じがするけどどういう意味があるのか、その定義をはてなキーワードさんから拝借させていただく。
ということで、どちらかというと蔑称として使われることが多いようである。
しかしこのキョロ充、本当にこの通りだとしたら中々に努力家というか、生き難そうだなぁという同情の念を禁じえない。
特に、キョロ充の一日という項目なんて悲惨そのものではないか。
一生懸命リア充たちとの関係の維持に努めるも、ことごとくかわされ最終的にはぼっちと大して変わらない状態で一日を終えるとか、もう涙でディスプレイが見えない。
一瞬リア充と似たような空気を味わっている分落差が激しいわけで、こんなんだったら最初からぼっちである方が幾分かマシなのではないだろうか。私みたいにな!
そういえば私の周りにも事あるごとに「一緒にトイレに行こうよ」とか、「一緒に学食行こうよ」とか言う人がいた気がするが、今思うとあれがいわゆるキョロ充というやつだったのだろうか。別に私リア充じゃないのに。
ちなみに私はというと、3年でゼミに入るまでは完全にリア充とは程遠い生活を送っており、大学で警備員さんに朝挨拶する意外は一言も発しなかったなんて日もあった。
友人からは「2年もその状態だったのかよwww」というありがたい嘲笑をいただいたわけだが、その通り過ぎてなんの反論もできなかったわ。
こんないつでもどこでもぼっちぼっちしている私だが、今日も元気に生きているよ。