Lawless Area

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東北地方太平洋沖地震を受けて


まず始めに、これは完全に私のオナニーであり、当ブログのタイトルに即して現在私が思っていることをただ穴の中に吐き出すために書いた文章である。

したがって、あくまでこれは私自身に対する考えであり、人に説教をしたり考えを強要したりするものではなく、至極主観的なものとなっている。

とはいえ、もしかしたら読んだ人が不快に感じることもあるかもしれない。よって、そういうのは勘弁という方は回れ右していただければ幸いである。



私は関東に在住しており、地震が起きた当初は「今回はいつもと違うな」とは思ったものの、ここまで大事になるとは思っていなかった。

しばらくして、テレビやネットなどから今回の地震による被害の規模が段々と明らかになってくるにつれ、東北に住む祖父母や伯母、知人がもしかしたら危ないのではないかという不安に駆られるようになった。

特に祖母は先月脳梗塞で倒れたため入院しているし、祖父も家で一人きりの可能性があるため、2人のことを思うと正直自己を保っていられなくなってしまう程心配だった。


地震から数時間後、不幸中の幸いではあるが、私達家族は余り遠くに出かけていなかったため、家族全員が何とか家に帰って来ることができた。

しかし、夜になっても依然として東北の祖父母、伯母とは連絡が取れず、表面上は気にしない素振りを見せていたものの、報道などを見ていて最悪のケースばかりを想像してしまうようになってしまっていた。

そんな時、たまたま従姉妹と連絡が取れどうやら祖父母、伯母共に無事ということがわかる。

正直ほっとした。

もう既に何人もの方が犠牲になっていたし、未だ安否確認が出来ていない方もおられたので手放しでは喜べなかったものの、少しだけ気持ちが軽くなったのは事実である。


しかし、知人とは相変わらず連絡が取れなかったので、依然としてモヤモヤとした気持ちが晴れることは無かった。


そして翌日の土曜日、未だ知人とは連絡が取れない中で、母が祖父母や伯母が必要とするであろうものを色々と買い込んでいた。

母の気持ちは良くわかった、比較的被害が少なく、食べたいものが食べられ、普段とほとんど変わらない生活が出来ている我々ができることは、食糧や物資の支援だと思ったのだろう。

この時は私もその通りだと思っていたので、母の試みに賛同し、必要になるであろう物のリストアップを手伝った。


こうして「被災者である親族や知人のために行動している」という免罪符を得ることで、無事だったことに対する罪悪感から逃れたり、未だ安否のわからない知人のことを考えないようにしたりしていたのかもしれない。

そんな中、気になっていた知人からの連絡が届き、残るは母の知り合いのみとなる。

やはりここでも少し心は軽くなったものの、未だ安否を確認できていない人もいるし、安否を確認できたとしてもその人の苦労を考えると、とてもじゃないが晴れやかな気持ちになんてなれなかった。

そんなこんなで結局何も身に入らないまま1日が過ぎていき、せめて節電だけでもしようということで暖房もつけず、いつもダラダラとやっているネットを早々に切り上げ、この日は寝た。


そして次の日の日曜日、ようやく首都圏は落ち着きを取り戻してきたらしく、私も通常通り行われるということで予備校の授業を受けに出かけた。

休日ということもありいつもは大量に人でごった返している駅構内や街に、その日はいつもの半分ほどしか人がおらず、何だか余計に暗い気持ちになった。

そして、授業から帰り、普通に夕食を食べられることに罪悪感を覚えながらニュースを見ていたところ、翌日電力不足を補うため「計画停電」なるものが実施されるという報道があった。

地震原発爆発ときて、次は計画停電、事態はどんどん悪化してきているなという印象を抱いた。


そして昨日の月曜日、計画停電の影響で交通がマヒし、朝から街はパニックに陥っていた。

被害が比較的軽度で済んだ首都圏ですらこの有様なのだから、被災された方々はもっと大変なんだろうなと思い、この日はひたすら節電に努めた。



こうして、日を追う毎にどんどん暗い気持ちになっていったわけだが、正直言って私のこの心情は完全に自己満足だと思う。

私の母と妹は先週の土曜日に、私は今週の月曜日に祖父母宅に行く予定だったのだが、そういう「行くはずだったんだから」という事実が余計に罪悪感のもととなり、現地へ行って何か出来ないかという気持ちにさせていたのかもしれない。

しかし、いくら日帰りで行っても邪魔なものは邪魔だろうし、こちらがどれほど心配したところで事態が好転するわけではない。

結局のところ私がやろうとしたこと、思ったことはすべて「持てる者」が「持たざる者」に対して“上から”好意を押し付けているだけであって、相手のためを思っているならば控えるべきだったのだろう。

今になって思えば、親族や知人に対して安否確認を行うためメールを送ったり、電話をかけたりした行為も自分の事しか考えていない愚かな行為だったと思う。

私が電話をかけたことで、東北の回線を圧迫しただろうし、メールの受信によって相手に無駄な電力を消費させてしまったのだから。


こうして散々あれこれやった上でだし、親族、知人の安否確認ができた上なので全く説得力は無いが、この3、4日私が考えて出した結論は、募金や節電という効果があるといわれている事だけを行い、後はなにもしないことが一番良かったのではないかということである。

こういっておきながら内心ではどこかで考えてしまっているので駄目なのだが、本来は「来て欲しい」と言われた時すぐ行動できるように、いつも通り生活し、いつも通りヘラヘラしながら気力を充実させておくべきなのだろう。

なので、もうこちらから連絡は一切取らず、向こうにも無理に行こうとせず、節電を心がけながらいつも通り生活しようと思う。

一方で、だからといって募金や寄付、節電をしない人を責めるというのもおかしな話で、こういうことはあくまで自主的に行うものであり、強要すべきではない。

そういう何もしない人や政治家、企業等をこういう時ついつい責めたりしがちだが、そういう元気があったら、その元気をいかに被災した方々のために使えるかという事を考えようと思う。


よし、これにて鬱陶しい偽善溢れるオナニーは終了!アニメ・・・、は見られないからラノベでも読むか!!